ナサホームの20年(7)

2.      年が明けて

 年が明けていよいよ本格的に営業開始なのですがこの年の1月10日に父親が亡くなりました。死ぬ前にとりあえず自分の会社を作れて父親に見せられたと言うことがせめてもの親孝行かなとは思いましたが。
仕事の方は、もちろん顧客名簿も無く来る日も来る日もチラシを手撒きする毎日です。毎朝、レインズ(不動産業者間の不動産物件情報ネットワーク)で他業者の登録した物件を資料請求しその中で売れそうだと思った物件1件選びをすぐB5のチラシにして輪転機で2000枚程度印刷して物件周辺に配って歩くのです。単調な仕事ですがこれでサラリーマン時代に何件も売っていました。ただ大手業者のチラシと聞いたことも無い業者のチラシでどの程度のレスポンスの違いがあるかは全くわからないまま体力勝負を挑んでいました。また夕方からはB5のチラシに物件を3~6件の載せたものを作り8時ごろから2時間くらい、約2000枚を決まったマンションに配り続けました。孤独な作業でした。
結果、このチラシ撒きは4年くらい続けました。物件に対する反響はそれなりにありましたが、大手業者のように売りの依頼を受けることはほとんどありませんでした。
孤独な作業を一人で延々と続けていたわけですが、おかげで周辺の業者さんにも認めてもらえるようになってきました。あるとき三和銀行系の東洋不動産販売の京橋店所長から東洋不動産販売の社員と一緒に夕食会を開いて頂いたときはホントに涙が出るほどうれしかった。また当時の三和銀行の融資課長から予算1億円のお客さんを紹介いただき成約できたのもうれしく有難い限りでした。たった一人でコツコツと誰に褒められるわけでもなく努力を続けているとやはり誰かは見ていてくれる。認めてくれる。もしかしたら神様が可哀想に思ってチャンスを与えてくれる。自然にそんな風に思えてきました。神の存在を何となく感じたときでした。

3.  会社が潰れる

 順調にスタートしたかに見えた会社もここからが大変でした。世間では「北海道拓殖銀行の破綻」「山一證券の倒産」と立て続けに大型倒産が起こっていました。いわゆる金融不安の始まりです。ニュースでも連日、不景気,不景気といい続けています。山一證券の当時の社長の涙の記者会見が何ヶ月もの間、金融不安の象徴として繰り返し放送されます。
そんな状態で中古マンションを買う人なんていません。極端に反響が減り、来る日も来る日も何もすることがありません。事務所にいても気が滅入るばかりです。その当時は梅田や難波にホームレスが溢れていました。しかしホームレスを他人事とは思えませんでした。自分も紙一重です。気持ちの上で緊張の糸を一瞬でも緩めるとあのようになるのだと本気で考えていました。テレビを観ていると経営者の自殺者が急増していると言っていました。もちろん自分は死ぬつもりはありませんが自殺者の気持ちが痛いほどよくわかりました。「死んでいく人は楽になるのだろうなあ」と羨ましくさえ思ったものでした。 ただ今から思うとあの当時は「これで会社潰れたら、日住(前に務めていた会社)の連中にかっこ悪い」とか「嬉しがって娘の名前会社につけて2年やそこらで潰したら馬鹿にされる。」など変なつまらないプライドにも押し潰されていたように思います。経営者としてまだまだ未熟でした。

4.  火事になったマンションの話

 そんな苦しい状況のさなか、こんなことがありました。手撒きチラシの反響でご主人が歯医者さんのご夫婦がいらっしゃいました。ご案内したマンションを気に入られすぐに5000万円で購入申し込みを頂きました。ただその後、契約に向けて物件調査をしているとそのお部屋が過去に火災が発生し内部が全焼したお部屋であるということがわかりました。すべてを包み隠さずご報告したのですが、ご夫婦はだいぶ考えられたた結果購入する意思を示されました。ただ、私は納得できませんでした。ご夫婦には小学生の可愛い御嬢さんがいらっしゃいます。もし、学校で火事のことでいろいろ言われたりイジメがあったりすると可哀そうに思い、やめられた方がいいと強く勧めました。
粛々と契約手続きを進めていれば仲介手数料156万円が入ってきます。でも娘さんのことが心配でご夫婦も後で後悔されると気の毒なのでそうしてしまいました。同業者にその話をすると10人が10人とも契約すると言います。「おまえあほちゃうか?」というのが大勢でした。ただ、誠実な気持ちでそうしたことが3年ほどして返ってきました。そのご夫婦が自宅を売却されることになり、それを弊社に専任で任せてくださいました。またその物件を弊社を通じて買ってくれたお客様にもその当時すでに始めていたリフォームで500万円以上の工事をご契約いただきました。
やはり、商売は誠実が一番。目先の156万を諦めたおかげで3年後、2倍にも3倍にもなって返ってきました。