ナサホームの20年(8)

5.    リフォーム業へ進出

   苦しみながらも徐々に業績は回復してきました。初めての社員、小田君(仮称)が入社してきたのはその頃でした。
会社設立の時からやりたいと思っていたリフォーム業ですが、なかなか不動産業から手が離せずにそのままになっていました。しかし、やっと2000年にリフォーム業へ進出しました。進出できた理由は小田君がそれなりに数字をあげられるようになり私自身が不動産仲介から一歩引く余裕が生まれたことが一番大きいと思います。
ただリフォームを始めるといっても私には建築の知識がほとんどありません。学生時代は土木学科でゼネコンでも宅地造成ばかりでした。不動産仲介をしていたときは仲介のお客さんでリフォームされる方がいらっしゃるとインテリアサイキ(現 サイキ)という業者に紹介していました。ただ、そのときの見積書を多数残していたので参考にさせてもらいました。そしてその業者の営業マンのクロスの測り方を見て覚えました。それで初めは自社で仲介したお客さんの内装から始めることにしました。リフォーム業というより内装屋さんという感覚です。ただ始めるといっても職人さんに知り合いが全くありません。そこで約1000世帯ある京橋グリーンハイツの中をうろうろして内装工事をしている部屋を見つけては職人さんに声をかけました。「うち不動産屋やねんけど、これからリフォームもやるからクロス貼ってほしいねんけど…。」こんなことで取敢えずリフォーム業をスタートさせました。しかし設備の知識が全く無い。また設備を仕入れるルートも全く知らない状態です。お客さんからもキッチン交換を頼まれてどうするべきか考えていたときにたまたま知合いの司法書士から建築会社が倒産してしょうがなく2人で独立した人がいるから下請けに使ってやってほしいと紹介されました。それが南さんという人と後からいろいろ問題を起こしてくれた山田(仮称)でした。ただ建築会社に長く勤めていた二人ですので問屋のルートや設備の職人の手配には役に立ってくれました。
その後暫くして南、山田の二人がお金でもめて喧嘩別れになり山田が途方にくれていたのでナサホームで現場監督をしてもらうことになりました。確かに当時は私の建築知識の乏しさをよく補ってくれたと思います。

6.     リフォーム事業の拡大へ

  実際に自分でわからないなりにリフォームの営業をしていて先ず一番に感じたことはその面白さです。何歳になっても新しいことをどんどん覚えるのは楽しくて仕方がありませんでした。また物創りの楽しさも充分に味わえます。二番目に感じたことは営業が楽ということでした。数千万の不動産を売るよりもどんどん決まってすごく楽です。不動産屋時代に培った営業力をそのまま持ち込むとほんとに面白いほど契約できました。自分でも天職だと思っていました。
事業の拡大意欲は十分ありましたのでリフォームの社員を入れ始めることにしました。当時はまだB-ingなどの雑誌に載せる資金的な余裕も無いので職安に求人を出しました。初めに来たのが建築経験者で宇田(仮称)という男。2~3ヶ月いましたが毎日、朝出社してすぐにチラシを撒きに行くと偽り水商売勤めの彼女のところへ昼寝をしに行っていたのがわかったので、すぐにやめてもらいました。次に来たのが初村(仮称)さんでした。今と違ってもう20キロ近く細く、育ちのよさそうな娘さんというのが始めの印象でした。建材メーカーでOLをしていたとのことでしたが営業経験がなく本人も初めはそれが不安だったようです。面接で「私に営業が出来るでしょうか?」と不安げに尋ねてきたのが昨日のことのようです。その後大野君も入ってきて私も含めて3人の体制で細々リフォーム業者をやっていました。でも当時は初村さんも大野君もチラシの手配りと廃材処分の毎日でした。

7.  船井総研との出会い

 ある日、夜遅くインターネットでリフォームのことを調べていたときのこと。船井総合研究所という経営コンサルタントの五十棲さんという人のサイトに出会いました。「売り上げ5000万のリフォーム会社が3年で8億」とか「会社立ち上げから2年で5億円を達成」とかすごい実例がたくさん載っていました。あまりの衝撃に12時を回るまで集中して観ていました。それから五十棲さんの「リフォーム事業 儲け方の極意」というわかりやすい題名のメールマガジンを申し込みバックナンバーも含めて読み漁りました。そして五十棲さんの「売上2億円の会社を10億円にする方法」という題名の本を買い一晩で読みきりました。とにかくすごい。オクタ、ウェーブ、アップリフォームジャパン、スペースアップなどが事例として取り上げられていました。また内容もわかりやすい。例えば『会社を大きくしたければ人をたくさん採用しなさい』という章があります。なにもノウハウが無いのに人をたくさん採用すればすぐ倒産するのに決まっています。ただ中を読んでいくと「なるほど」と納得できるように数値計算を交えて説明されています。
この本を見てからこの本のことが頭から離れません。でも「日本最大の経営コンサル会社がうちのコンサルなどしないだろう」との思いもありました。そんなときに『地域一番店セミナー リフォーム事業儲け方の極意』という如何にもそそる題名のセミナーが船井総研の大阪本社で開催されるのを知り参加することにしました。ここで講師をしていたのが後々お世話になることになる坂本氏、そして坂本氏の顧問先のハウジングスタッフの東原社長の成功体験談でした。船井総研のうまいところは自社のお客を上手に宣伝に利用するところです。経営コンサルの言うことだけであれば眉唾にも思えるのですが実際の経営者を引っ張り出すことで信憑性は一気に高まります。「小さい会社のコンサルもするみたいだけれど高いお金が必要なんだろうなあ」が正直な感想でした。なにせ売り上げ8000万、貯金通帳に大してお金もありませんでしたから。
セミナーから二日後、講師の坂本氏から電話がありました。「いま福岡の会社に来ているのですが明日は大阪に戻ります。一度お話しませんか?」話だけならと思い約束しました。その夜考えました。お金のことだけです。「毎月のフィーが30万以内ならお願いしよう。」と決めました。
翌日、当時中津にあった船井総研の広い応接室。坂本氏が「経営コンサルを入れるというのは時間を買うことです。」とかなんとかいろいろ説明してくれました。でも「何か船井総研がよさそう」と言うのはメルマガを読んで本も読んでセミナーも聞いて判っています。問題は値段だけです。話の早い段階で単刀直入に聞きました。「毎月いくらくらい必要ですか。」坂本氏は少し嫌な顔をしながら「本当はすぐに値段は言わないのですが言いますと初めに着手する際に経営戦略書を作りますので500万、それから毎月は25万です。」なんと想定外の価格です。月々25万はいいのですが、初めに着手金500万とは…。一瞬の間があくと坂本氏は「うちは物売りでもなんでもないので価格を下げるとかどうとかはしません。伸びる見込みのある会社とだけお付き合いしたい。」こちらの動揺を見透かして高飛車な態度でした。しかしこれがやはり経営コンサルのクロージングなのです。最高の営業トークです。私は前夜に決めていた「30万以内」に収まっていたので「契約するのはどうしたらいいんですか?」とすぐ決断しました。坂本氏はそれでも少し横柄な態度で契約書類等の手続きをしました。後から聞いた話では内心では一発で契約してくれることに驚いて嬉しかったそうです。しかしそんな本心はかけらも見せず契約手続きは終了しました。2001年の11月の終わり頃のことでした。