ナサホームの20年(9)

 8.    いよいよ本格始動

   2001年の暮れは船井総研との打合せでアプローチブックや原価表を作る資料の提出等で忙しくしていました。
2002年の正月、いよいよコンサルを入れての本格始動のスタートです。チラシも作りました。以前自分で作ったチラシに比べて格段にいいチラシが出来ました。船井総研のリフォーム業者への支援の前提は高反響のチラシにあります。これが当たらないとあとのいろいろなノウハウが全て絵に書いた餅になってしまいます。
正月一発目のチラシが入ったとき驚きました。同じようなチラシで今まで入ったことのない業者のチラシが同じ日に何枚も入っています。全て船井流のチラシです。船井総研は同一地域で何社ものリフォーム業者と契約をしていたのです。「こんなん有りかよ!」と正直思いましたが、船井総研にもたくさんのコンサルがいますのでその辺の交通整理が出来ていなかったようです。というか交通整理する気も無かったのでしょう。しかし兎にも角にもやらないとしようがありません。チラシを入れ続けましたが反響は余りありません。レスポンス3000分の1という触れ込みのチラシでしたが6000分の1くらいだったと思います。反響がなければ営業の仕事もないのでそのころ初村さんや大野君の仕事は朝から12時までチラシ撒き昼食をはさんで1時から5時までチラシ撒きといった状態でした。スタートから思いっきり滑ったのでした。

9.    えらいことがおこった

   そんな中でも、インターネットからの問合せで今もたくさんのリピートを
いただく阿倍野区の獣医さんから総額2000万を超える受注を頂いたりしながら、食つないでいました。柳と岡田が入社したのはそのころでした。今でこそ役員にまでなっている柳ですが、入社したころは現場監督の兄ちゃんといった感じで、お客さんのところへ電話していても「ほだら、いまからいきますわぁ」とガラガラ声で言う始末です。「『ほだら』はないやろ!!『それでは今からお伺いします』やろ!!!」とよく基本的なことから注意したものです。ただ彼の場合、適応能力はあったので3週間ぐらいで人並みの営業マンくらいの言葉遣いはできるようになりました。
そんな折、都島区のある新聞販売店から電話がかかってきました。「御宅とこ、アドサービスにチラシ頼んではるでしょう。どんな支払い方してはるのん?アドサービスから3ヶ月支払いありませんねん。」アドサービスはチラシを各新聞販売店に配る折込屋と呼ばれる業者です。すぐに私は「もしかして」と思いました。「販売店に支払いが滞るくらいお金に困った折込屋が次にすることはチラシを間引くことしかない!」と。それでみんなで手分けして各新聞販売店に電話で一斉にナサホームのチラシが何部持ち込まれているのか確認をしました。その結果は、こちらが依頼していた部数の約6割しか持ち込まれていません。4割は間引かれて捨てられていたのです。えらいことです。詐欺行為です。社員の中には告訴しようと言って色めき出すものもいました。しかし実は私は嬉しくてしようがなかったのです。いままで6000分の1のチラシ反響が折込屋を替えるだけで3600分の1にアップすることが確実になったわけです。今まで、チラシのレスポンスをあげる為にあれこれ考えていたことが解決したわけです。その業者にも多少の弁済はしてもらいましたが、訴訟を起こすこともなく不問にしました。お人好しかも知れませんが、このプラス思考が私の唯一の長所かもしれません。

10.  なぜかお金が残らない

   チラシのレスポンスも上がり、少しずつ受注も増えてきました。しかし、貯金通帳の残高は減るばかりです。みんな大体3割くらいの粗利で受注してきます。毎月の経費を考えると黒字のはずなのですが赤字なのです。受注時の粗利は30%でも完工すると10%近くダウンするのが原因でした。受注は毎月ある程度コンスタントにあがるのですが完工は工事の遅れなどである月に固まったりするものでいったいどれくらい下がっているのかということに気が付くまでに結構時間がかかってしまいました。経営者としては失格です。何か対策を講じたとしてもその結果がどの程度出ているかは半年くらい経たないと判りません。
ここから長く苦しい時期に入ってしまいました。いろいろ対策を講じてみましたがなかなかうまくいきません。急な変更は社員も付いてきにくかったとおもいます。新しい手を打とうとしても初村さんあたりは「ふんっ」とそっぽを向く始末です。やがて毎月の支払いにも苦労するようになりました。毎月数百万円足りません。先ず自分の貯金を全ておろし、足らない部分をクレジットカードやら何やらでキャッシングをしてしのいでいました。信用金庫でも毎月のように手形貸し付けをお願いしました。
毎月月末の2時ごろまで金策に走り回っていました。当時の事務の高橋さんには大変迷惑をかけました。外から電話で「いま200万入金したから○○と△△へ取敢えず振込して!!」と言った内容の電話を一日に2~3回していましたから。そのうちついに万策尽きてあと50万が払えない月がありました。そのときは都島店の近くの村山材木店さんに5日間支払いを猶予してもらえるように頭を下げに行きました。そのとき社長は病床に臥しておられたのですが奥様が「いつでもいいよ」と快く受けてくださいました。今でも感謝しています。後にも先にも支払いが遅れたのはこのときだけです。
ただ、この資金難のときでも会社をつくって2年目の頃に比べると変に腹が据わって悲壮感はありませんでした。あの2年目の時の悲壮感、絶望感が経営者としての度胸を鍛えてくれたのかもしれません。