ナサホームの20年(16)

9.みずらぼ急成長

2011年に都島店 2012年にHDC神戸店、尼崎つかしん店の2店舗、2013年に西神中央店、エトレ豊中店、夙川店、千里丘店の4店舗、2014年は六甲店、枚方店、奈良大森町店、阿倍野店の4店舗と急拡大していきました。
みずらぼは先にも書いたようにナサホームの成長の遅さを補い急拡大することを宿命として作った会社ですので出店には力を入れました。ただ初期のころのある日、林社長が表情を曇らせながら私のところへやってきて言いました。「社長、面接は社長がやってください。僕がこんなんだから面接しても誰も入ってきませんわ。」要は内定辞退が続いて本人も自信を無くしたのでしょう。これ以降みずらぼの採用はナサホームの採用と一緒に私がするようになりました。初期のみずらぼの採用といえば面白いエピソードがあります。林と私でみずらぼの面接を都島店で行っていました。なかなか会話のキャッチボールも軽快にできて良い印象の人が来ました。そして最後に筆記試験をやったのですがなんと11点しか取れていません。新卒採用で大学生にさせて平均点が50点くらいの試験です。あの頃は私も若かったのか今思うと乱暴ですが、本人の前で林に言いました。「この人採用するかどうかお前に任すわ。でもこの人採用するならこの筆記試験する意味ないよな。大津、焼肉ランチ食いに行こう。」ランチから帰ってくると採用にしたといいます。それで入社してきたのが棚沢君です。それ以降この筆記試験はやっていません。

10.大坂塾

ある時、愛知県豊橋市の建築会社ブルーハウスの森社長から「大坂塾って勉強会があるんだけど行ってみない」とお誘いを受けました。それで2013年7月に説明会に相当する戦略セミナーに参加しました。大阪塾長がご自身の経験を語り経営の考え方や方法を説明される内容ですが、私自身の考え方に非常に近く共感することができました。船井総研などのコンサルタントは大胆に攻めることを良とする傾向がありますが、大阪塾長はどちらかと言えばそれを戒める立場です。経営者は順調な時に行き過ぎてしまうことがあるけれどもそこから破滅の道を歩んだ多くの会社の話もされます。当時私はみずらぼの出店攻勢をかけ始めていたころでしたが「しっかりした金型ができるまで出店を急ぐな」と戒められます。「経営者はオドオドビクビク経営をしなければならない」このことばも名言だと思います。
大阪塾長は香川県の小さな電気店の長男として生まれ後を継ぎ紆余曲折の苦労の末、ケーズデンキのFCとして500億円以上の企業に育て上げご自身もケーズデンキの常務取締役を務められた方です。そのエッセンスを学べる訳ですがとても真似のできないことが多いのです。何事も用意周到、準備万端、計画づくで行動されます。そして社員教育のレベルも他よりよりよいといったレベルではなく他を圧倒するくらい徹底的にレベルアップをされます。
この大坂靖彦塾長との出会いはみずらぼの出店攻勢の時期で業界でも注目され始めていた時期だけに有頂天にならないように神様が引き合わせてくれたのかと思えるほどの絶妙のタイミングでした。大坂塾長からは現在も私のメンターとしていろいろな教えを頂いています。